閑話休題。
会場の場所は大崎、NHNオフィス。ブログ経由の参加者は名札としてブログ名の書かれた紙を首から下げる。すなわち胸の前に燦然と輝く
「ミームの死骸を越えてゆけ」
どう見ても痛い子やわー
※↑例の名札と、田口さんより質疑応答参加者(と女性)に配布された"いいね!キャンディ"
※おそらく今回最も名札で羞恥プレイを食らったのは「ボーイズラブを読む!」さんではないかと
僕はこうした会では可能な限り真っ先に質問するようにしている。受動的に聞いた内容とは頭への残り方がダンチだからだ。ちょっと、その質疑の内容について書こう。以前から先輩ブロガーに聞きたかった"ブログのジレンマ"なのだが、田口さんに投げてみた。
「"読まれる"ことを志向すると、ブログが自分の好みからだんだん離れて行きませんか?渾身の記事がスルーされたり、思っていたのとは別の取られ方をしたり...そうした苦い思い出があればお話伺いたいです」
というもの。回答はこんな感じだった。
うつ病の症状代
「書き続けるしかない。読者の反応を見てると"ああ、思ったのとは別の読まれ方をしたな"と思うときもある。そんな時は、文章の書き方を修正する材料にする。わかりやすい文章を心がける。渾身の記事がスルー...これはよくある。俺もだいたい4割くらい外す。」
とのことでした。
百式の田口さん、基本的にお話はオフレコで...とのことなので、僕の質問回答以外は伏せておく。
そもそも田口さんはあまり表に顔を出さないのだが、なんというか....若い。見た目もさることながらエネルギーが半端無い。
正直言って参加前は「どーせブログ流行らすノウハウとかだろ」と思っていたのだが、
もっと原体験に基づいて、田口さん自身の哲学がよく伝わってくる話であり、書けないのがひじょーに残念だ。
ブログ・ネットを"ツール"として使う。その先にある目的を志向する。彼の姿勢は潔く、先輩の貫禄がむんむん漂っていた。僕の目指したい方向に、少し共通している部分がある。
新世紀メディア論
本キャンパスのホストであるライブドア社員さんが暴投もとい冒頭に紹介した本が面白そうだったのでその場でAmazonにて購入、本日届いた。
あなたは労働者に入るまでmucosプラグが外れた後、
非情に面白い。新しいウェブな流れを礼賛するのではなく、古きをふまえた上で展開される正当派「メディア論」。僕は別にメディアの人間ではないが、ふらふら適当にTwitterしたりニコ動見たりとネット暮らしを楽しんでいる人は「ネット時代のメディアを真面目に捉えるとこうなるんだ」という面を見るために読んで損は無いと思う。
ざっくりまとめて思う所を。
さて・百式さんTechwaveさんの講演、奨学金ブロガー、たまたま出会った人、懇親会での話題などをざっくりひっくるめて僕の中で咀嚼し消化し戯言を嘔吐して閉幕としましょう。
Prepared mind、という言葉がある。チャンスや理解は、それに対して準備している者の下にのみ訪れる、っちゅう意味だ。
ネガティブな側面としては「人は自分の見たい物しか見ない」というものもある。心理学用語で言うとSchemaだろうか。違うかもしれない。
ともかく僕がブログキャンパスから掬い取れた学びは、やはり直近の関心に寄ってしまっているようだった。
たとえば 計画すること、継続すること、計測すること、改善を繰り返すこと
うつ病のヘルプティーン
。僕が今一番身につけたいと思っている基礎スキル(20代なんてのはどう足掻こうとも後から見れば基礎作りに他ならない。多分。)がこれだ。
そしてConnecting dots。
先を見ることは出来ないのに今の意味は先から振り返ることで真に腑に落ちるというこの歯がゆい感じ。
最近仕事ばっかやってるから仕事の話で言うと、会社が変革しようとしているのがよくわかる。自分のスキルが足りないのも、もう少し本気出せるのに力をセーブしていることも自覚している。同僚が進歩しているのもよくわかる。
その中にあって、僕が本当に進歩しているのかどうか、わからないというのが正直な所だ。
話は飛んで、昨年末、すっかり有名人になってしまったハックルベリーこと岩崎夏海さんの、割と個人的(らしい)なパーティーに誘って頂いた。
(僕に取って)特筆すべきは、岩崎氏は『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を出版した当初か#ら「ヒットする」ことを前提に次の戦略を考えていた、という点。
パーティーにて語られる岩崎氏の半生は、そう、それこそ『もしドラ』が大ヒットした後から振り返ってみれば、すべてよかったことのように聞こえてしまうのであり、
結局は、着地点なのだ。着地点を自覚してさえ居れば良い。 知りながら害を成すなとは言うが、知らずに成す選択に比べればおぞましさは天と地の差がある。
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