皆さんはじめまして。萩原研究会18期の吉野考史(よしの こうじ)です。
役職としては稲葉さん・ごーことともに、OB会係を担当しています。
とりあえず自己紹介でもしたいと思います。
僕は90年、パリに生まれ、物心つく大分前に横浜近辺に引っ越し、そこで育ちました。
小学生のころは一時オーストラリアにいたりもしましたが、ケンカが絶えない一方、本が好きで、ファックスの説明書などを熱心に読んでいました。
このころ、9.11テロとその後の対テロ戦争をテレビで見たことが政治に興味を持つきっかけだったのかなと思っています。
その後は子供心にゆとり教育に不安を覚えたのもあって、中学受験をし、大船の丘の上にある栄光学園という中高一貫校に進学しました。実は我らが野田君の出身校でもあります。
「キリスト教なくして民主主義の普及はあり得ない」と考えていたアメリカの軍人が二次大戦後に作ったカトリックの学校で、制服は海軍作業着をもとにしており、
毎日中休みに上半身裸で体操するという冬寒くて仕方ないイベントがある奇妙な世界でした。
戦後間もないころは、「軍国主義を復活させようとしているのではないか」との疑いももたれたそうです。
ただ少なくとも僕が行くころにはゆるく自由でどこかのどかな学校になっていました。
その時代の僕はというと、勉強もそこそこに、物理研究部での活動に熱中していました。
物理研究部という名前ではありましたが、生物以外の理系的な全ての活動が行われており、僕は多くの時間をプログラムに費やしていました。使用言語はJavaです。
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ソフトの開発で忙しくなる三学期には目に見えて成績が悪くなっていたものです。
一方政治への興味も続いていまして、文理どっちに行こうか高二の最後ギリギリまで迷い、結局文系に進みました。友人には驚かれましたし、そのせいか今も他学部の人にはときどき「理工だと思った」と言われます。
また、高三の時受けた倫理の授業がとても面白く、このころ哲学になんとなく興味を持ち始めました。
ただ、当初は何を読んだわけでもないのに唯物論的な考え方に妙に傾倒していて、経済を修めようと考え、東大文二を目指しました。
その結果、センター試験で政治学科に引っ掛かり日吉にやってきたというわけです。
そういえば、入試制度別にみると、入学後の成績はセンター試験利用入学者が最も低いそうですね。
大学に入ってからは何より授業に熱中しました。世間的には大学の授業はつまらないというのが定説だったので期待していなかったのですが、全く予想に反した結果でした。
中学高校時代勉強を適当にやったことに後悔があったこともあり、勉強する学生になろう!と意気込んでいました。
また、なんだか難しい本を読んでレポートとかを書く大学生に謎の憧れのようなものを抱いていて、メディアにこもりカタツムリのような速度で色々本を読んで生活していました。
サークルはかの律法会と、ストーリー漫画研究会というところに入りましたが、前者では一時的にはそれなりに活動したものの、そのまま消えてしまいました。後者ではオタクの友達が少しできました。
趣味は文字にすると堀尾先生と大体同じになってしまうのであえて違う言い方をすると、物語を摂取することです。
小説、漫画、アニメ、映画、神話、何でもよいのですが、面白い話を養分に生きています。一定期間ごとに興味ある領域が移り変わったり戻ったりする傾向があるのですが、今はアニメと音楽がメインでしょうか。
音楽は元から聞かないわけではなかったのですが、詩に注目するようになるようになってから摂取量が大幅に増加しました。逆に言えば、にわかもいいところです。
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よっちゃんが伏線を張ってくれましたが、好きなジャンルはヒップホップ、というか最近はそれ専門です。
ヒップホップと帽子が好きというと「悪そうな奴は大体知りあい」的イメージですが、とりあえず僕はそういう人ではありません(帽子はハットです)。ギャングスタラップも大好きですが。
素人考えですが、ヒップホップというのはいろんな意味でとても物語性が強い世界だと思います。詩の傾向自体もそうですし、DissやBeefもそうだと思っていて、そういうところも含めて好きです。
アニメとヒップホップは相性最悪と思われがちですが、ラッパーというのはある種脚本家兼声優みたいなものだと思っています。
好きなラッパーはNas、Biggie、Q-tipなどなど…です。
アニメについては、語るとゼミとあまりに関係ない話が倍増する結果になるのでさすがにやめておきます。
そろそろゼミの話をしたいと思います。
まず、僕がなぜ萩ゼミを志望したのかという点について。
これはたくさんあってうまくまとまらないのですが、まず政治学基礎1が面白かったこと。
授業を聞いて当時の僕の唯物論的な先入観は完全に破壊されましたし、ひねくれ具合が肌に合っていたということもあると思います。
また、律法会の活動の関係で政治学基礎1の参考文献に挙げられている本をいくつか読んだのですが、そのどれも面白かったこと、
あまりにぼんやりとした言い方になりますが、本質を突いているというか、一番重要な問題を話している気がしたこと。
特にカール・シュミットの著作には衝撃を受けました。
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そういったことから、二年の夏ごろには萩原ゼミを考えていました。
ただ、他の分野のことをまったく見ずに決めるのも不安なので、ゼミを持っていて授業が面白かった先生の著作や授業で挙げられた参考文献をいろいろ読んでみました。
しかし読めば読むほど萩原ゼミのほうが面白そうだ、という確信が強まっていき、結局萩原ゼミを志望しました。
このように思った影には、今考えると、高三の時になんとなく持っていた哲学への興味が少しあるような気がしますし、
そもそも政治に興味を持つきっかけが9.11と対テロ戦争だったので、正戦論について強い興味があった、ということは大きいのではないかな、と思っています。
そういったわけで、入ゼミ課題ではカール・シュミットの友敵理論についていろいろと書きました。これがどれくらい今妥当性を持っているのか、と言ったことがやりたかったんだと思います。
計画的に進めるはずが、やはり遅れ、テストおよびレポートとかぶり、結局大部分を徹夜でなんとかして速達で送ってしまった記憶があります。
そのあとは心を無にして面接まで全てを忘れようとしていました。
こんな事情なので、内容はぐちゃぐちゃでしたね。評価について先輩や先生に聞く気にはなれません。
三田論ではなぜ友敵理論に引っ掛かったのかということからさかのぼり、正戦論と対テロ戦争について書きました。
例の『正しい戦争と不正な戦争』を中心に、オバマの議論を分析するつもりでしたが、オバマは完全におまけになってしまいました。ただそれなりにやりたかった内容のことがやれたかな、とは思っています。
ついでに言えば、今回も計画的に進めるはずが遅れに遅れ、数日引きこもって何とかしました。
ちなみに、三田論には共通テーマがありますが、みんなの問題意識を受けて関連したものを先生が設定してくださるので、やりたいことがやれないということには全くならないと思います。やりたいことをテーマと関連付けて論ずるといった感じだと思っています。ってよく見たらもうぱに=まんさんが書いていましたね。
最後に萩原ゼミに関してなんとなく僕が思っていることを書いて終わりたいと思います。
他のゼミに入っていない以上、比較はできませんが、このゼミにはいいところがたくさんあると思っています。
そのうち最近感じていることは、萩原ゼミでは文献について議論している普段の活動でも、個人の興味関心、知識や体験が生きてくるということです。当然だと思われるかもしれませんが、僕が言いたいのは一次元的な「能力」が全てではないということです。勿論議論の能力や、文献を把握する能力、哲学の知識がすごい人はいるし、そういった人はいつも面白い議論をしています。
ただ、刺激的な議論が文献の「誤読」から生まれてくることもあるし、文献や議論に対する素朴な疑問が発展することも少なくないです。そういった各自の異なる視点から生まれる化学反応のようなものに参加できるのはこのゼミの一つの醍醐味ではないかな、と思っています。
大分関係ない話ばかりしてしまいましたが、皆さんのゼミ選びや入ゼミの参考になれば幸いです。次は18期ラスト、グル―ヴィーでみかんな若松君の登場となります。
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